駄知線の廃線跡ポタは、
下石駅から先はゆるゆると
登っていきます。県道より高いところを通り、
森の中を抜けます。
土岐市総合公園の裏手を過ぎると
自転車歩行者道が終わり、道なりに進むと、
山神駅跡を示す看板が出てきました。
ホームも残っています。
道路は右手に下りますが、駄知線は高いところを進み、橋を渡って森の中へ。
県道に回ります。
多分この辺りで県道の上を渡り「日帰トンネル」へ。
県道を進むと駄知から来た東濃鉄道バスとすれ違いました。バスがやってきたほうが駄知の市街地になるのですが、左のバイパス側に一度進んで左折して、バイパスをくぐり下って行きます。
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というのは地図を見ると、この県道バイパスをくぐる地点が駄知線の跡になるようですが、いまいちよくわかりませんでした。トンネルの一部になるということでしょうか。
採石場も見ながら、結構な勾配を下ると、
![f:id:masaru-arameya:20240521163747j:image f:id:masaru-arameya:20240521163747j:image](https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/m/masaru-arameya/20240521/20240521163747.jpg)
![f:id:masaru-arameya:20240521163749j:image f:id:masaru-arameya:20240521163749j:image](https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/m/masaru-arameya/20240521/20240521163749.jpg)
また、駄知線跡の自転車歩行者道が出てきます。地域の子ども達の手形足形?のレリーフがあり、
駄知線の絵も陶製。
解説がありましたが、人口密度が岐阜県で1番になるほど栄えていたそうで。
その少し先右手には、
広大なスペースが。これが駄知駅跡です。
廃止後東鉄バスの車庫でしたが、今ではそれも廃止されてしまいました。
駄知線の車両基地でもあり、貨物スペースもきっと広かったのでしょう。
この駄知駅はなんとスイッチバック。
終点東駄知へ向けて、駄知駅から一回戻り、
下って行く構造。駄知駅跡奥に見えた車庫の建屋とはかなり高低差が。
駄知の家々の間を縫って行きます。県道を渡る歩道橋も作られていました。
![f:id:masaru-arameya:20240508140637j:image f:id:masaru-arameya:20240508140637j:image](https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/m/masaru-arameya/20240508/20240508140637.jpg)
![f:id:masaru-arameya:20240508140640j:image f:id:masaru-arameya:20240508140640j:image](https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/m/masaru-arameya/20240508/20240508140640.jpg)
その自転車歩行者道が終わり、
少し先に、東駄知のバス停があります。
ここが駄知線の終点でした。
駄知駅より東駄知駅の方が低い位置にあることにびっくりしました。
地図を見ると、実は駄知からは北側に川沿いを下れば土岐市に行けますね。中央本線に接続することを考えれば、もう少し効率的なルートがあるようにも思えます。
駄知鉄道は最初中央本線の瑞浪駅を結ぶ構想でしたが、駄知町関係者だけでは資金が足りず、下石町の関係者にも出資を得て、建設されたそうです。なるほど、だから不思議なルートになったのか。
もう一度、日帰トンネルや駄知駅周辺を「今昔マップ」で見てみますと、面白い。
とても見どころの多い廃線跡でした。
この記事を書きながら、東濃鉄道のHPを見たところ、駄知線の廃線跡に関する中日新聞の記事がリンクされていました。。。
行く前に見ておけばよかった。。。日帰トンネルは土岐市側の入り口は残っているようですね。通過してしまったのは心残りです。
この日はGWで陶器祭が開催されたようですが、時間的に終わってて駄知の街には人がいない。。。
さて、暗くなる前に宿につきたいですが、せっかくここまで来たのなら、もうひと頑張り。続く。