GWに1泊2日の輪行ポタ。岐阜県は東濃エリアにやってきました。
まずは北恵那鉄道の廃線跡巡りから!中津川駅をスタートしますが、
北恵那鉄道は中津川駅に近接した中津町駅から下付知駅を結んでいた約22㎞の路線。1978年に廃止。
中央本線との連絡線跡がスロープで残っていますね。
工場の敷地に沿って左にカーブしていきます。
いきなり面白そうな廃線跡グラベル。チェーンがかかっていますので、迂回してくると
道路橋の下に、橋梁跡が!!
この橋梁は「第一中津川橋梁」だそうで、いかにも頑丈そうな橋脚です。
この道路橋は廃線後造られたんでしょうね。この交差になるというのは面白いですね。
道路橋を造る際に、絶対撤去は考えたと思うのですが、北恵那鉄道の橋脚があまりにも立派に作られているので、壊すことが大変という判断だったのでしょうかね?
道路橋を登り返して次のポイントへ。
北恵那鉄道は中津川の左岸に一回渡った後、また右岸に渡ってきます。
木々の間に第二中津川橋梁が出てきます。
路盤が道路に合流してきましたが、、、、ドドーン。
奥に廃線跡界隈ではレジェンド級の木曽川橋梁が見えるではありませんか。
「あの橋を渡りたければ、この俺様を倒していきな。」
「あ、いえ、戻ります。すみません!」
という感じですね(笑)ここからは立ち入り禁止とのことです。
もう一回登り返して、木曽川にかかる県道の玉蔵大橋へ。
ここから北恵那鉄道の木曽川橋梁がよく見えます。
この景色を見に来たのです!中央にとんがっている峯には苗木城が築かれていました。
玉蔵大橋の下をくぐり橋梁の右岸側に向かいます。
廃屋があって、何故かベンチがありますが、
この近くに恵那峡口駅があったようですね。
そして「恵那峡川下り」の観光船出発場所だったとのこと。そして「休止のお知らせ」との看板が出ています。一応まだ廃止ではないということでしょうか。
小屋の横から築堤に上がることができました。
右岸から木曽川橋梁を眺めます。
北恵那鉄道は木曽川の大井ダム建設に伴い、神宮備林(伊勢神宮式年遷宮用のヒノキ林)等の付知川水運補償として1924年に開業。当初軽便鉄道の計画だったようですが、狭軌に変更されて建設されたそうです。
木材輸送がメインの路線だったからでしょうか。非常に強固につくられているのがよくわかる美しい橋脚群です。急流木曽川に建っているのに100年、びくともしてなさそうですね。
終点、下付知を目指して進んで行きます!