前日浜松入りしましたが、あまり天気よくないので、ハマイチはまたの機会にしました。無念。やはり湖は天気が良い方が楽しいしね。
午後の天気が雨ならば、午前中に廃線跡ポタはできないかなー。
前日地図を見ていたら面白そうな廃線を見つけました。
浜松の民鉄、遠州鉄道にはかつて奥山線という軽便鉄道があったそうで。
今回はその廃線跡ポタに計画変更!
午後の雨も考慮して、駅前にデポして出発です。
奥山線の起終点は時代によって変遷していますが、1958年から1964年に廃止されるまでの起点は現在の「遠州病院駅」の前身「遠鉄浜松駅」だったそうです。高架化によりちょっと位置は違うのでしょうけど。
電車線から左にカーブして離れていきまして、
このクセつよな地割に感じますねー。真ん中の駐車場や民家が廃線跡かな?
平日朝です。高校生の自転車が多く、その中に紛れて進みますが。
変な自転車が混じってると思われていることでしょう・・・。
ホテルの辺りに元城駅があったとのこと。浜松城の北側です。
この先で前を走っている高校生が、カギを落としました。。。
しょうがないなぁ。おじさん拾ってあげて、ちょっと本気だして追いついて後ろから声をかけても気づいてくれません。前にでて見せると、イヤホン外しながら「ありがとうございます。」って。ダメよーイヤホンしながら自転車乗っちゃ。。。
並走して止まらずに受け渡し。補給艦みたい。
なんてことしていたら、着いちゃいました。亀山トンネルです。
上は国道257号線。
トンネルの入り口には、かつての奥山線の写真がありました。
1914年(大正3年)にまず元城駅~金指駅までが開通。翌年には浜松中心部側は板屋町まで延伸。1923年には奥山まで延伸されました。
大正時代にはまだ浜松北部には鉄道がなく、方広寺という臨済宗方広寺派総本山で家康ゆかりのお寺がある奥山までが建設されたとのこと。
ラッキョウ軽便と呼ばれていたんですね。そんな形のかわいらしい蒸気機関車が走っていたようですが、
1947年に遠州鉄道と合併。1950年に当時の始発駅東田町と曳馬野間は電化されました。
しかし、曳馬野から先は電化されず、Wikipediaによれば、奥山から来る列車と併結運転もされていたとか。(客車を電車が引いていたってことかな??)
トンネル内にも往時をしのぶ写真が飾られています。
さあトンネルに突入!
トンネルを抜けると右に良い感じにカーブして、
広沢駅跡へ。このカーブがいいですねぇ。。。
レリーフがありました。
この亀山トンネルの写真展示は充実していて当時の雰囲気がよくわかりました。
次善の策で来た訳ですが、スタート直後から面白すぎです。
これはむしろアタリ!! 続く。