鉄輪☆温泉

鉄道に輪行してポタリング。締めは温泉へ!折りたたみ自転車×鉄道ライフとお出かけ記録をつづります。

東北本線旧線跡ポタ①新白河~豊原

水郡線郡山駅まで輪行し、東北本線に乗り換えます。


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郡山駅を出て見えてきたのは、鶴見線で使われた205系がボコボコにされている姿。。。

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新白河駅に到着。在来線ホームは同一ホームで黒磯方面と郡山方面が乗り換えできる構造。長大なホームの真ん中に車止めがあります。

ブツ切りになった東北本線の象徴ともいえましょう。さながら現代の「白河の関」。


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せっかく白河(厳密には西郷村ですが)にいますので、白河ラーメン食べたい。

まだお昼前で、街中のお店はやっていませんが、駅構内で白河ラーメンチャージができました!


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そして、25時間ぶりの松尾芭蕉像で輪行解除。

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棚倉行の白棚線JRバスが出発。

このバスは輪行させてくれないんですよ。(←本当にしつこい。)

masaru-arameya.hatenablog.com

棚倉で水郡線から乗り換えて、バス輪行して新白河に戻ってくるつもりだったのに。ブツブツ。f:id:masaru-arameya:20240804204026j:image

さて、新白河をスタートとして、東北本線沿いを東京方面へ。

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上下線が離れた踏切を渡って白坂駅に到着。


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E531系の新白河行がやってきました。東北本線なんですが、常磐線感が強すぎるんですよねぇ。

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ここで、今昔マップを確認。左の古地図は明治40年代の地図。これを見ると、現在の東北本線とは異なるルートを、カーブをしながら通っていますと、右の地図を見ると、その廃線跡は道路になっているのがよくわかります。

上り線の踏切を渡り、坂を下って今度は下り線を渡ります。かなり高低差があります。

どんどん下って左に

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森の中をゆったりカーブしていくと、
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鉄橋が見えてきました。
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こちらは東北本線黒川橋梁。旧線の上空を通過しています。

youtu.be

この区間はまず1887年(明治20年)に旧線が開通。

次に1920年大正9年)に左側のトラス橋の新線が開通。旧線の勾配減が目的でした。

そして右側の下り線は1964年に造られ複線になりました。
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素晴らしい眺めの陸橋です。ここで東北本線は栃木県から福島県へ。

貨物列車でも通らないかと思いましたが、タイミングあわず。

かつてブルートレイン国鉄特急がバンバン駆け抜けたことでしょう。

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田んぼの中を進みますと、
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旧豊原駅付近です。通りすぎかけたので、振り返って白河方を望んでいます。
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東北本線は黒川沿いを進んでいました。黒川を渡っていると、ん!?

何やら煉瓦造りっぽい物体が。


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近くに行ってみようと思いましたが、草むしています。
しかし、よく見てみると、枕木!?(わかりにくいですが、黒い部分)

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そして、この煉瓦造りのモニュメント。何かというと、旧東北本線の橋台であった煉瓦で造られたものだとか。枕木もモニュメントの一部として埋められたものですね。

平成10年にこの黒川では大水害。旧線の遺構は流されてしまいましたが、流出した煉瓦を使って、このモニュメントを造ったということです。(那須町HPより)

大水害の記憶を残す象徴が、旧線の煉瓦なんですね。

 


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当地は那須岳山麓です。火山性の地質ですから保水力が無く、大雨がふれば大水に。日照りになれば水不足の土地柄ですね。

旧豊原駅の辺りは、水原という地名も残っていて、水に苦労してきた歴史がうかがえます。

ここで貨物列車が通過。現在の東北本線はずいぶん高いところを進んでいるのが、お分かりいただけるでしょう。

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回り道して、頑張って登り、現在の豊原駅にやってきました。なかなか旧豊原駅周辺の集落の方が使うには大変そう。駅舎はずいぶん新しいですね。


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白坂に向けて旧線の登り勾配を減らすために造られた現在の東北本線ですが、

黒川沿いの水害を避ける意味にもあったのでしょう。

明治期ではできるだけ谷筋を通し、トンネルも必要ないルートを選択。

大正になって長い鉄橋を建設し勾配を減らして輸送力増強。昭和にはさらなる輸送力増強のため複線化してトンネルとコンクリート製の橋梁を建設。

写真には取れる距離ではありませんでしたが、黒川橋梁の奥には東北新幹線が走っているのが見えました。

鉄道史がギュッと詰まったところでした。続く。

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