少し体を動かすべく。新横浜方面へ。「SLばんえつ物語」に乗った次の日はお休み。
本当は日中線跡ポタに行くつもりでしたが、疲れが取れないので諦めました。
でも新発田市あたりでクマが出てケガ人が出たとか。東赤谷駅跡なんてちょっと一人では怖いのかもしれません。。。
新横浜駅の「篠原口」に行ってみることに。行ったことないので。
東海道新幹線をくぐって細道を進み横浜線新横浜駅ホームを跨線橋で越えて行きます。
新横浜駅の北側は、ホテルやらオフィスビルやら横浜アリーナもあって都会っぽいわけですが、
篠原口は、住宅地に面していて、これが新幹線が止まる駅なの?ってな、ギャップ。
いや、むしろこれが新横浜駅の真の姿でしょう。新幹線の方が新参者ですから。
篠原町は高台で古くからの住宅地。一方新横浜駅北側は鶴見川の氾濫原。
新幹線は台地スレスレを通されていることがよくわかります。
篠原町の住宅地を抜けると、「篠原池」に到着。
岸根公園の一部となっていて、ブルーラインの岸根公園駅があります。
日々ブルーラインに乗ってますが、ここから新横浜まで地上がどうなっているのかを初めて理解しました。
ここから、どっちに行こうか迷いつつとりあえず六角橋へ。この県道12号上麻生道路は横浜中心部に向かう時に走りますが、以前から気になっていたのは、こちら。
なかなかレトロな意匠。〒マークがカッコいい。
しかし、そもそも六角橋の由来って何なのでしょうか?
「六角橋商店街」さんのホームページから引用させていただきますと、
昭和二年、城郷村大字六角橋から横浜市に編入し六角橋町となる。
町内にある宝秀寺の元禄八年(一六九五)の記録によると、 日本武尊 が東征の時、ここの 大伴久応 という者の 庵 に泊り、翌朝、日本武尊が 五位木 という木の六角の御箸を用いられて、これを久応に賜ったので、久応はこの箸へ天照大神・日本武尊と書いて日夜礼拝したことから、村名を「六角箸村」と称し、後に「六角橋村」と改称したという。法秀寺の門前に「大伴久応之墳」の石碑(成務天皇四十五年正月十四日)が建っている。
昔、この地に架かっていた橋が六角形の材木で組まれていたので、そこから「六角橋」と名付けられた、という説もある。
そもそもは「橋」は「箸」だったとは。。。へー。
ただ橋もあったわけですね。考えてみれば、上麻生道路と旧綱島街道が交わる六角橋交差点は不思議な形です。一方通行出口の奥の細い道なんかどう見ても小河川が暗渠化されているみたいに見えます。その川は県道を渡って短いですけど緑道化。これを辿り住宅街の1番低いところを行くと
東白楽駅に出ました。なるほど、そして東神奈川のスケートリンク横の川につながるわけね。
「今昔マップ」で確認すると、やはりその通りでした。
上麻生道路は車も多くてあまり好きではないので、こんな感じで旧道や路地をつないで横浜に行けることがわかりました。
さて六角橋に戻り、旧綱島街道を久々に。
妙蓮寺駅にやってきました。そういえば妙蓮寺ってちゃんと見たことがないなぁ。駅名にもなっているわけですが、
日蓮宗のお寺なんですね。葬儀があるみたいなので境内に行くのは遠慮しましたが、
なかなか刺さるお言葉が。。。。
肝に銘じたいと思います。最近ちょっとビールによるお腹たるみが。。。
この先で横浜線をくぐるのですがめちゃくちゃ細いところ。よく走れるものだと感心します。
そして師岡熊野神社をお参りして、
鷹野大橋まで行ってから、鶴見川サイクリングロードで帰ってきました。
妙蓮寺での格言「酒は飲んでも呑まれるな ほどよくやれば百薬の長」
要は酒だけじゃないぞってことですよね。何事も「ほどよく」が大事。
それこそ「ポタリングの精神」だと思うのですが、都合のよい解釈??