本年もどうぞよろしくお願いします。そして、令和6年能登半島地震で影響を受けた皆様にお見舞い申し上げます。いくばくかの後ろめたさ?みたいなものを感じつつのブログ更新。今の時点で直接自分ができることは少ないし、義援金募金等は少しずつやっていきたい。
さて、今年のお正月は親族旅行で、千葉県富里市にあります「インターナショナルホテル湯楽城」に。「旧ラディソンホテル成田」です。
敷地内に「東京湯楽城」という入浴施設(温泉ではない)があります。
噴水ショーが行われたり、
祭りの雰囲気がある古い町並みがあります。外国から来るお客さんには日本の雰囲気を体感できるというコンセプトでしょうかね。そこを抜けてから大浴場へ。
お台場にあった「大江戸温泉物語」は行ったことがないのですが、そんな感じなのでしょうかね?正直、お風呂は温泉でもないし、個人的にはなんだかなぁ。。。と思いながら来たのですが、、、
おおっ!!「根木名駅」ですと!
中は卓球コーナーですが、駅を模したセットがありました。往時の駅舎に似ているのかどうかはわかりませんが、地元に残る鉄路の記憶を残そうというのは、素晴らしい!!
「根木名駅」は、かつてこのエリアを走っていた成田鉄道八街線の駅。
「成田鉄道」については、成宗電気軌道が前身だった宗吾線を以前ポタしていますが、
この他、千葉県営鉄道が前身の多古線(成田~三里塚~多古~八日市場)と八街線(三里塚~八街)がありました。
時間あれば、これら廃線跡ポタを少しでもと思い、自転車を車に載せておりました。
この駅名板を見たからには出陣確定!!
朝食終わりで、チェックアウトまでの2時間。八街まで行くのは無理そうなので、今回は成田~三里塚の廃線跡を辿ることに。次の機会には八街~三里塚~八日市場をつなげれば、コンプリートできますしね。
ホテルの前の県道を進むと根木名バス停が。でも根木名駅はこの辺ではないみたい。
根木名川にそって成田駅までやってきました。初詣客の混雑を心配はしていましたが、そこまででもなくよかった。
さて成田鉄道多古線ですが、千葉県営鉄道として1911年に成田~三里塚、そして多古へ順次開業したそうで、成田付近では1928年(昭和3年)にルート変更がされたとのこと。
まずはその千葉県営鉄道時代の旧線に沿って行きます。
成田線の線路沿いに進み、歩道橋は担いで渡りました。成田線から分岐するように右にカーブして、成田山の裏手へ。
タクシー会社のもう少し手前の駐車場付近でしょうか?「成田裏駅」があったらしいですが、昭和の初めの話ですから。。。
国道に合流していきます。イオンモール成田の先、創価学会の施設の辺りで「西成田駅」を経由してきた新線の跡が合流してくるはず。
そちらに行ってみますが、廃線跡なのかなー。。。うーん。
旧線の方がまだ廃線跡感がありますね。。
成田山の回りは大渋滞です。この渋滞を見て、これは自転車は無理。と思い引き返してしまいましたが、これが大ミス。。。
唯一ともいえる遺構の橋脚が、この土屋中央通り沿いに見られるそうで。。。
東成田駅付近?にやってきました。広いスペースもありますし。。。どうかなぁ。。。
左に分岐していくのも廃線跡っぽいようにも見えます。根木名川を渡りますと、
「三里塚街道」と書かれていて、成田鉄道多古線の代替バスともいえるJRバスのバス停があり、ついこの道を進んでしまったのですが、
法華塚のバス停へ。法華塚駅が確かあったはずと思い、スマホで現在地確認をしたところで、!!!道を誤っていたことに気が付きました。。。
三里塚街道と並行する形で、南側に道があるのですが、廃線跡は南側の方。。。
事前に地図見て南側の道だと確認してから来たのに。。。なんという失態。。。
京成本線を跨いで進み、
南側の道には確かに廃線跡の雰囲気が・・・。
この辺りに法華塚駅??
三里塚に向かうべきか迷いましたが。今回は廃線跡区間を戻って、根木名川まで戻ることにしました。
その廃線跡であろう道沿いには成田鉄道の後身千葉交通のバスの車庫も。
この辺りで成田鉄道は根木名川を渡っていたのでしょうね。
この後、根木名川沿いにチェックアウトギリギリにホテルに戻ってきました。
事前に地図も見たのに道を間違えたり、一番の遺構を見落としたり。。。ちょっとイマイチな廃線跡ポタになってしまいました。正月ボケですね。