天頂駅跡から国道を渡って、引き続き矢板線跡ポタ。
新高徳~天頂間が最初に開通したところですね。右手に怪しい高まりがでてきて、
船生(ふにゅう)駅跡に到着。ホーム跡が残っていますね。
さらに進んでいきますが、お腹が空いたので、
国道沿いの道の駅「湧水の郷しおや」にピットイン。
手打ち蕎麦屋さんで、エネルギー補給!のど越しの良さも、さることながら、かき揚げも大きくておいしい。食べ応えたっぷりです。
このボリュームなら、天蕎麦でよかったかも。
満腹、満腹。先に進みます。
左手に盛り土が残っていまして、駅の跡だと感じます。今昔マップを見ると、「ふにふしんでん」(船生新田?)という駅跡の位置。しかし、
ネットで調べても、東武矢板線に「船生新田駅」は無かったようです。
上記は下野電気鉄道時代の地図。少し新高徳よりに進みますと、
またホーム跡っぽい雰囲気が。この地点はGoogleマップでは「西船生駅跡」と表示されます。先ほどの「ふにふしんでん」駅は以下では、「船場東の出羽三山碑」とされているところ。
下野電気鉄道から東武になった時に「船生新田駅」が廃止されて「西船生駅」ができたのか?単に「船生新田駅」が「西船生駅」に駅名変更したとしたら、場所は違いますし。すぐ近くで2つ駅は必要ないと思うので両駅が並んでいたとは思えませんし。。。
ナゾが残りました。(といって、これ以上特に調べませんけど。。。)
この先川を渡りますので、迂回。右手から伸びて来た廃線跡をまた進みますが、
ここからまた「廃線跡グラベル」(←この言葉気に入った。)に。杉林の中を進みます。
橋台の残る水路を越えて廃線跡は続きますが、
この先の短い区間が自転車で走るのは難しそうな藪に見えて、ちょっと迂回して、
また廃線跡グラベルを進みます。区画整理された農地になりました。
また迂回して、廃線跡に戻り、切り通しを抜けていきます。
新高徳駅の手前で、下今市駅側に向かい、東武鬼怒川線に合流していく線路もあったようですね。分岐点がうかがえる柵があります。
SLの汽笛が聞こえていますので、
ダッシュで新高徳駅へ向かうと、ちょうど「SL大樹」がやってきました。
牽引するのはC11 325。真岡鐡道から譲渡された機関車です。スペーシアとの交換風景が見られました。
沿線に人工林や製材所があり、かつて木材を運んでいたということがよくわかる風景でした。各駅の遺構が残り、歩行者自転車専用区間もありますし、「廃線跡グラベル」も楽しめます。折りたたみ自転車にピッタリでした!!