片上鉄道跡ポタを続けていきます。
「黄福柵原駅」から400mほど進むと、「吉ヶ原駅」があります。
まずはすぐ横の「柵原鉱山資料館」に行きまして、そもそもなぜ片上鉄道があったのか、まずはお勉強。
館内に入るとかつての賑わいがわかる鉱山町の「にぎわいコーナー」。相当活気があったことでしょう。自転車店もあったりして。
さて、この柵原鉱山で産出されたのは硫化鉄。
特に硫黄を肥料にして、我が国の高度成長期の農業生産を支えたのだとか。そして鉄ももちろん鉄製品に。ただ硫黄の方が含有割合が多かったんですね。
その鉱山の竪坑があったところが、旧柵原駅のあたりです。
こんな櫓があって(これはレプリカ)地下深くに坑道が張り巡らされたそうで。
その鉱石輸送は当初吉井川を高瀬舟で輸送していましたが、昭和6年(1931年)に片上鉄道は柵原まで開通。
和気で山陽本線で接続し関西方面へ、片上からは海上輸送で八幡製鉄所等へ運ばれていた鉱石輸送とともに、地域住民の旅客営業をしていましたが、国内硫化鉄鉱の国際競争力低下、需要減を受け1991年(平成3年)に廃止。。。
さて、片上鉄道がなぜ作られたのかよくわかったところで、
吉ヶ原駅に戻ってみましょう。
こちらの客車は元国鉄オハ35のホハフ3002ですかね。
老朽化した気動車の置き換えで導入されたとのこと。むしろ貨客混合列車にすることが効率化というのは片上鉄道ならではかと。。。
キハ702は1936年(昭和11年)に製造された旧国鉄量産型気動車。一部改造されているものの、当初のスタイルが維持されているのは大変貴重です。
ホームや、
当時の雰囲気がそのまま残されていて、興奮してしまいます。
先にローディーさんが撮っていたのでマネしてみますね。
「黄福柵原駅」に向かって線路が伸びています。
資料館の横には貨車が保存されています。特にこのワフ102は国鉄から購入した後、片デッキだったものを両デッキに改造した車掌車です。「ヨ」でないのが面白い。
その上では「サイクリスト大歓迎!!」
ありがとうございます。はるばる来た甲斐あるってもの。
そして、その横には片上鉄道の客車、ホハフ2000シリーズが。オープンデッキ構造が珍しい片上鉄道オリジナル車両です。
片上鉄道がその歴史から独自色の強い路線だったことがよくわかりました。平成3年まで走っていたわけですからね。つくづく乗ってみたかったと思います。
この日は朝から旧津山機関区も見てきたので、ここまで面白い鉄道車両をかなり見て、
さすがに脳内が鉄分で飽和状態になってきた。。。
いよいよ片上鉄道廃線跡を利用した「片鉄ロマン街道」サイクリングロード、スタートです!!