聞き間違えて、慌てて降りちゃう人いるんでしょうね。注意書きがあるのが面白い。
「八王子みなみ野駅」は1997年開業。もっと最近かと思ってました。。。
開業前の仮駅名は「宇津貫」でした。その方が、降り間違えなさそうだけど。
ここで輪行解除!!
都筑区の「センター」と同じような雰囲気の街です。丘陵地に住宅地が広がっていますが、道路舗装を境に手前が開発地で、奥は元々の農地。
こういうギャップが面白いです。農道を抜けて、
ちなみに駅名は「やまだ」ですが、地名は「やまた」だそうですが。
今回はまず京王御陵線跡をポタしていきます。
御陵線は1931年(昭和6年)北野~御陵前(後に多摩御陵前)、京王電気軌道により開業。大正天皇のお墓が「多摩陵」。参拝客輸送を見込んだ路線でした。
1945年1月に不要不急路線とされて休止。戦後も休止状態のまま1964年廃止となります。そして北野~山田間は現在の高尾線として使われています。
高尾線を陸橋で渡り、住宅地の間に伸びる御陵線跡を活用した道路を進みます。
現在の高尾線とは高低差があります。この道路に痕跡は何もないようですね。
中央線をアンダーパスでくぐりますと、
甲州街道にぶつかります。水準点がありました。この水準点の少し南側に「横山駅(後に武蔵横山駅)」があったようです。
甲州街道を走る「武蔵中央電気鉄道」との乗り換え駅でした。
ちなみに1929年「武蔵中央電気鉄道」は東八王子駅前(京王八王子の前身)と高尾を結んでいましたが、1938年に京王電気軌道になり、横山駅近くの車庫前~東八王子駅間を先に廃止。残りは京王電気軌道での高尾へのアクセス路線として残されたのでしょうか。それでも翌1939年には全線廃止となっています。
甲州街道は高架で渡っていたようですね。
そして南浅川をこの付近で渡ります。
対岸に渡りますと。ドーン!
京王御陵線で残っている遺構の橋脚です。なんと立派な。。。
この幅ですと、複線だったのでしょうか。
取り壊しの話も出たそうですが、住民の方がこの歴史遺産を遺すことにされたのだそうです。贅沢な隣地境界線。。。
先に進みますと、河岸段丘でしょうか?一段上がります。赤いクルマがあるお宅の列が御陵線跡に当たります。高架橋でこの段丘面につながっていたのでしょう。
都営長房団地が広がりますが、この駐車場?のあたりを御陵線は横切っていたのかな?
駐車場の奥には段丘の縁。なんだか廃線跡雰囲気を感じたのでこちらを進んでみましたが、古い地図ではこのお社の裏側を通っていたので、こちらは間違いです。
この藪がきっと御陵線跡では。。。
この中途半端な空き地も、位置的には廃線跡だと思うのですが。。。
そして、その奥はもう「御陵前駅」があったあたり。
全て住宅になっているようです。都道がカーブしているところで、反対側には陵南公園があります。
「今昔マップ」を参照させていただきますと、山田駅側の高さを高架で維持しながら、甲州街道と南浅川の対岸に向かっていたのがよくわかります。
さて、参拝客輸送が目的だった御陵線。その「多摩御陵」に行ってみましょう。続く。