京王御陵線跡をポタして、御陵前駅(後の多摩御陵前駅)跡付近にやってきました。
その「御陵」に向かいましょう。広い参道を進みますと、大きな広場が出てきました。
奥に進みますと陵墓についての掲示です。「多摩御陵」は大正天皇の陵のこと。
天皇の陵墓が、初めて関東に作られたそうです。大きな変化だったようですね。
だから参拝客が多くて、御陵線を造るに至ったとのこと。
その後、昭和天皇、皇后の陵も作られました。
そのため現在は「武蔵陵墓地」が正式名称。
自転車は進入禁止です。駐輪スペースがありますので、置いて苑内へ。
ちなみに注意書きには「撮影禁止」の記載は見られません。
入った瞬間、「異世界感」。
京都から植えられた北山杉だそうです。玉砂利を歩くと厳かな気持ちに。
そして昭和天皇の「武蔵野陵」、香淳皇后の「武蔵野東陵」に拝礼。
皇后のお墓を東側に作るというのは、意味があるんでしょうね。
お出ましの際の立ち位置とか?
現在の天皇陛下が126代目ですが、関東に天皇の墓が作られたのは最近のことだったのか。。。
これも古墳時代でいうところの古墳ってことにはなりますね。(?)
現実的には陵墓は天皇の数だけ必要になるわけですが、「多摩陵」の奥にはまだ敷地があり、地図で見ると奥に2つの谷が見られるようです。
でも「武蔵陵墓地」の土地も有限。いずれ何世紀か経つと、陵墓用地確保問題も起きてしまうのでしょうか??
あと、陵の名前も「多摩」「武蔵野」と大きな名前を使ってしまいましたからね。
今後どういう名前つけるんだろうと思ったりして。
さて、このあたりの「今昔マップ」を参照させていただくと、気になるところが。
「武蔵陵墓地」へのアクセス路である都道ですが、甲州街道を渡って少しだけ中央本線まで伸びています。そして、左の昔の地図には引き込み線がありますね。
その都道をカーブして下っていきます。南浅川を渡る橋は重厚感があります。
甲州街道を渡っていくと門があります。この門の先は現在市の福祉施設駐車場となっていましたが、
何やら碑がありますので、ちょっとお邪魔してみます。
拡大してみますと、「オリンピック東京大会 自転車競技この地に行なわる」とあります。1964年の東京大会では八王子市内でロードレースが行われたそうで、記念碑が設置されていました。
ただネットで検索すると、この地点自体が例えばスタート地点という感じではないみたいなんですが、どうなんでしょう?もちろんすぐ前の甲州街道はコースだったようですが。
さて、問題はこの敷地です。樹木の立派さからもただならぬ土地であることはわかりますが、
こちらは、東浅川駅(正式には東浅川仮乗降場)跡。
大正天皇の崩御後、大喪の礼等に向かう昭和天皇の乗降用に整備された皇室専用乗降施設がありました。社殿造の駅舎があったそうです。
昭和天皇は山手線原宿駅の宮廷ホームから、ここまでお召列車でやってきていたそうですが、1960年(昭和35年)に廃止。
その後、八王子市の「陵南会館」という施設になりましたが、何と、、、
爆破されるという事件が1990年に発生。。。。
東浅川駅廃止後は、お召列車は高尾駅を使っていましたが、平成になると皇族方は御陵へも車移動となりました。
高尾駅北口にやってきました。これで以下とログつなげ達成!
この重厚な駅舎は、大正天皇の「大喪列車」の始発駅として新宿御苑に造られた仮設駅舎を移築してきたものだそうです。
高尾駅周辺は南北自由通路設置を含めた再開発が計画されています。
貴重な高尾駅北口駅舎の建物は、一時期、東浅川駅跡に移築される話が出ていましたが、現在ではJR東日本が既存施設付近に移築する方向で検討が進んでいるようです。
京王御陵線跡と東浅川駅、高尾駅をめぐる歴史からも「御陵」の存在の大きさを実感。