一夜明けまして、
止まっているのは「青の交響曲(シンフォニー)」。
通勤型電車の6200系を改造した大阪阿部野橋~吉野を結ぶ観光特急。
16200系を名乗っています。
近鉄と言えば、観光特急!
こういった特別感のある列車なら、家族にプレゼンがしやすいんですよ!
鉄道に関心無い人も、乗ってみたくなりますよね。
ということで、吉野に家族旅行出発!
リクライニングはしませんが、どっしり包容されるシートです。落ち着いちゃいます。
編成は3両。2号車はラウンジカーになっていて、バーカウンターがあります。
バーカウンターの営業は発車してからなのですが、結構列ができてました。
私は、青の交響曲限定ラベルで奈良で醸造されるクラフトビールを午前中から頂きます。呑み鉄。
コロナで、まったくビール飲めなかったのですが、やっとおいしく飲めるようになってきた。
家族はオリジナルサイダー「ブルーシンフォニー」やご当地柑橘「じゃばらサイダー」と、大阪マリオット都ホテルのケーキ。一口もらったけど、酸味と甘みの絶妙なバランス。うまー。
乗車証とステッカーを頂きました。
以下動画にまとめましたので、よかったらご覧くださいませ。
妻に「特急料金いくらだったでしょう?」とクイズ出しましたら、6000円?と言っていました。
これで普通料金+720円で乗れるって、凄くないですか?高コスパ過ぎます。
大坂阿部野橋から吉野までは、1時間20分。
あっという間についちゃった。もうあと1時間くらい乗っていたかった。。。
ちなみに近鉄南大阪線は1898年河陽鉄道により、柏原~富田林間を開設したのが始まり。でも現在柏原~道明寺間は道明寺線。古市~富田林は長野線になっていて、現在この区間で南大阪線とされているのは道明寺と古市の一駅間。
道明寺から大阪阿部野橋方面、古市から橿原神宮前方面に延伸していったのが南大阪線なのですね。そのため道明寺と古市で大きなカーブがあります。
不思議なカーブだと思いましたが、そういった歴史があったのか。
このエリアの地図を今昔マップより転載させていただきますと、
確かに左の1910年頃の地図では柏原から藤井寺に向けて南下する鉄道しかないですね。
まず関西鉄道(関西本線)に接続する路線が開設される歴史は、前日乗ってきた天理線や田原本線、生駒線と同じ感じです。
河陽鉄道は後に1919年大阪鉄道となりますが、後に出来た大阪線の前身大阪電気軌道ともバッチバチだったことでしょう。並行していますし。
結局は戦中に関西急行電鉄に吸収され、近鉄となるわけですが。
吉野線は、1912年吉野軽便鉄道が吉野口~現在の六田(当時は吉野)を開設。1896年にはすでに王寺~吉野口~五条間には大阪鉄道と南和鉄道が開通(現JR和歌山線)していました。これも王寺から乗り換えて吉野に向かうルートが先に開通したわけですね。
その後吉野鉄道となって、1928年には橿原神宮前~現在の吉野が開通し、1929年に大阪電気軌道に吸収。
これらは、関西鉄道と同じ狭軌で建設されました。したがって南大阪線と吉野線は狭軌です。
一方、大阪線、奈良線等は標準軌で建設されて線路幅が広いです。
そんな歴史的経緯から、一つの鉄道会社に線路幅が異なる路線があるのは、とても面白い。
まあ、前日の奈良線等と比べてしまうと、南大阪線、吉野線は揺れを大きく感じましたが、個人的にはそれも近鉄を乗り鉄する時の妙味だと思います。