磯浜駅跡からは、大洗町内の住宅街を右に左にカーブして、大貫駅跡付近で道路が広くなります。
いずれ涸沼の方から来て大洗駅から輪行というプランも考えそう。駅前にログを残しておきましょう。
来た道をそのまま海の方に向かいますと。おしゃれな東屋が・・・。
このカラーはもしや??
やっぱり水浜電車がイメージされているようですね。
中には水浜電車の解説ポスターがありました。大洗町内のルートがよくわかりますね。
ポケットパーク内には、可愛らしい線路柄のブロック舗装が。ここで左に直角に曲がっていきます。
ここでスマホの充電が切れかかり、ケーブルを差しても充電できず。ケーブルが異常をきたしたようで、しょうがないからコンビニで購入。。。2000円近くの痛い出費でした。18きっぷの1回あたりは、2410円だってのに。。。
気を取り直して、大洗町内を進みますが、
曲松駅跡付近から、仲町駅跡側にどこで曲がればいいのかわからなくなって、ウロウロしていると、茨城交通のバスがやってきました。
この50系統のバスは那珂湊~大洗~水戸~茨大前を結び、水浜線に沿っています。まさにモータリゼーションで水浜線を廃止に追いやったバス路線ですね。。。
仲町駅跡付近からは台地の上に登っていきます。台地を登り切って、右折し
東光台駅跡付近から東に進みますと、松の林。
左手にゴルフ場があります。このゴルフ場の入り口あたりが大洗駅だったそうで。戦前の水浜電車は現在のゴルフ場内を北上して湊方面に向かいます。戦後はこの大洗駅が終点で場所が少し移設されていたようですね。しかし松林と海が見えて風光明媚なところで旅館はありますけど。。。ここに終着駅があっても。。。
ゴルフ場を迂回すべく、一回海に出て、太平洋と松林を眺めながら北上します。大洗マリンパークの横を上りまして、
ゴルフ場の反対側に回ってきました。祝町駅跡あたりですが、何も痕跡はわかりません。
こちらの旧道を水浜電車は走っていたようで、
台地を下り、那珂川を渡る
海門橋に到着しました。水浜電車は海門橋まで1927年に開業し、対岸の終点の湊までは1930年に開業したものの、1938年に海門橋が流されてしまい、そのまま湊駅は廃止になったようです。。。
暴れ川の那珂川の河口ですから、昭和初期の土木技術では橋を架けるのは大変だったでしょうね。。。那珂川の流れの中に古い橋の名残のようなものが見られます。
那珂川の河口を見ながら、橋を渡ったところに終点、湊駅があったようです。さきほどの水浜電車ポスターでは終点の駅名は「辰の口」とされてましたが。。。よくわかりませんが、いずれにせよ8年くらいの短期間しか駅は無かったわけですね。
大洗町内はくねくね走り、台地を登って下って。。。かなり無理やり線路を敷設したような気がします。これではクルマには歯が立たないわ。。。。
これにて、茨城交通水浜線(水浜電車)は完乗となりました!この後はひたちなか市内をポタリングします。また、続く。
過去のログと合わせると、那珂川沿いを西那須野から河口までつなげることができ、これも自分としては達成感があって満足でした!!