今回は偕楽園駅から、上水戸駅跡をスタートしまして、辿りますのは茨城交通水浜線(水浜電車)跡。ルートはこのようになりました。
1922年に浜田~磯浜間で開業した水浜電車が、徐々に水戸駅方面に延伸し、1928年には袴塚へ。茨城交通とは接続していなかったのですが、1944年茨城交通の経営となる際に、上水戸駅に接続したという感じでしょうか??
1966年6月に全線が廃止されましたが、茨城交通茨城線の茨大前まで,乗り入れもしていたそうですね。


なんだかゴチャゴチャした歴史ですので、詳しいことは他のサイトにお任せしまして。。。
上水戸駅跡付近は、住宅街になっていて、よくわかりませんが、細路地から少し幅が広がりますので、ここが軌道跡のようです。谷中駅のあったあたりでしょうか。


せっかくなので少し戻って、かつての起終点、袴塚駅跡付近の方に行ってみますが、よくわかりません。。。
でも駐車場は怪しいな。。。。古地図だとこの辺りだと思うのですが。。。


袴塚付近の細路地を走ってみます。この砂利道も怪しい。。。先はマンションになっていますが、


地図上では、そのまままっすぐ行くと、さっきの谷中駅跡付近の道路に当たります。
水戸駅方面に進んでいきますと。急に一部分だけ広くなっているっていうのは、交換できる停留所跡っぽいと思うのですが。。。どうだか。。。


ゆるやかなカーブがでてきますと、やっぱり軌道跡だなって思います。


水浜線はお稲荷さんの前から、国道50号に入っていたようです。





国道50号線は台地の上を、思ったよりアップダウンしていることがわかりました。一度水戸駅に下ってきて、水戸城に沿った国道51号方面に緩やかに登っていきます。水戸城の城としての地形の良さがよくわかります。


水郡線を越えた後、常磐線と鹿島臨海鉄道を越えます。ちょうど、鹿島臨海鉄道6000形がやってきました。この形式も数を減らしているようですね。
水浜線も常磐線を跨いでいたようですが、現在の陸橋よりも、もっと手前で着地?して左折していたようです。


そしてカーブを曲がると、


桜川を渡りますが、「水浜電車軌道敷跡」の碑がありました!
良かった。ルート合っていた。。。
そして本町の商店街を抜けていきます。かつては水戸の中心地だったんでしょうね。。。。


商店街を抜けると浜田駅跡。こちらも大きなショッピングセンターになっています。浜田駅には車庫があったようです。
ここまでが水戸の市内電車としての区間と言えそうです。
ここから直角に方向を変え、大洗方面に向かいますが、、、続く。