長野原町内に入りまして、白砂川。奥に通称「太子(おおし)線」(旧国鉄長野原線)の白砂川橋梁が残されているのがよく見えます。
手前は吾妻線の線路ですが、大前行の車内からもこの鉄橋がよく見えました。
前回触れましたが、長野原線は鉱山資源運搬を目的として、戦中の1945年1月に渋川~長野原が開業。長野原~太子(おおし)間は群馬鉄山からの鉄鉱石輸送のため、日本鋼管(株)専用線、通称太子線が同時期に開業。
戦後は1952年に、国鉄に編入され長野原線は渋川~太子間となりました。しかし長野原~太子間は1970年11月に休止となり、そのまま1971年5月に廃止。
今回は太子線跡をポタ。
白砂川橋梁に至る路盤に降りてみますと、先客あり。。
太子側は道路になっていて、らしい緩いカーブをしていくと、
「嶋木橋」先には廃トンネルがポッカリと。
簡単なロープですが、立ち入り禁止。轍があるので、行き来があるのかもしれませんが。ちょっと怖いですね。。。
左岸に渡り国道292号線を進みます。先ほどのトンネルはこの山を貫いていて、目を凝らすと右岸に路盤が続き、また別のトンネル口も、うっすら見えます。(以下の写真ではわかりにくいとは思いますが。)
厳しい地形に通したものです。これを戦中に作るとは。余程重視された区間であったことがわかります。
国道をアップダウンして、また右岸に渡ります。この地点で太子線跡が合流してきますので、長野原側に戻ってみます。(右下の写真では左手が廃線跡ですが、私は勘違いし、一旦、右側を進んでしまいました。)
ゆるく下っていきますと、
またトンネルです。最初の嶋木橋で見たトンネルと造りは一緒のようです。
下半分が石積のコンクリート造ですが、ずいぶんしっかりした造りに見えます。
国道292号線に戻り、すぐに二股になるところを右へ進むと、
トンネルが、
2連続!!テンション爆上がりです。この区間は自転車で通ることが出来ました。
畑の中を進んでいきますと、広い空間が出てきて、何やら遺跡?が見えてきて、
太子駅跡に到着です。