今回は旧甲州街道をポタしていきます。まずは野田尻宿まで。
中央本線を跨いでいきますが、くねくねで路肩は少なく、自転車には怖い道。
ということで、「名倉入口」で左に下ります。この道は旧甲州街道ですね。
下っていきまして、この橋は県境。山梨県に入り、右手に登り返します。
キツイ登り。いきなり旧街道の洗礼です。
この登りを上がりきるところに、「諏訪関跡」があります。
通行手形改め等の他、近隣の「渡し場」の取り締まりを行っていたそうな。
台地の上が平らになっているので「上野原」って言うんでしょうか。駅は台地の下にあるので、上がってくるの大変ですよね。。。
旧街道筋は敷地の大きな家ばかり。
上野原中心部に入ります。右手から国道20号線が合流してきました。今来た道が本筋だったことがよくわかります。
まっすぐ行くと「旧甲州街道」の道標があります。こちらを辿って進みましょう。
道標に沿って進むと住宅地の間の細いところを抜けていきます。こういうのが旧街道の面白いところ。
そして、国道20号線は歩道橋で渡り、
県道30号線に入ります。史跡案内図もあります。
鶴川宿に向けて、下ります。徒歩は左手に下るようですが、ここは車道を行きます。
そして鶴川。諏訪関がここの渡し場を管理していたということですかね。
しかし、川。ということは、また登るわけね。。。
渡ったところは鶴川宿。
宿場の奥で、足湯のある介護施設の壁に、旧甲州街道の道標がありました。
この砂利道が旧甲州街道とのこと、ちょっと上がってみます。
そこから左手に折り返した急登が。うへー。
押し歩きは、ここを歩いてきた先人に顔向けができない!と思って頑張って上りました。ひー。
すぐ横は中央高速が通っています。甲府方面に向かうと、鶴川を渡る橋を越えてから、談合坂SAにかけて登っていく地点ですね。
高速を渡り、切通しを抜けますと、大椚(おおくぬぎ)の一里塚跡の碑。実際にはもう少し手前に一里塚はあったとのこと。
大椚も小さな宿場だったようですね。
談合坂SAまで1㎞付近ですが、この地点には、北条からの侵略から甲斐を守るための砦があったそうです。
中央高速はその史跡を貫いているようですね。
下り線の談合坂SA手前で右折して、また高速を渡り、下っていくと
野田尻宿に到着です。一般のお宅が多いようなのですが、まさに宿場町という感じ。旅籠だったのだろうと思われる旧家が何件もあります。(あまり写真撮れてなかった。。。)
山梨方面に車で行く際には必ずと言っていいほど、利用する談合坂SAのすぐ隣には、こんな鄙びた歴史を感じる宿場町があったとは。
なんだか時空間の歪みを感じてしまいます。
アップダウンが非常に厳しい旧甲州街道。そこをなだらかに貫いていく中央高速。
山梨旅行で中央高速をクルマで走りますけど、そんな自分を棚に上げ、「クルマってズルいなー」って思ったりして。
まあ、江戸時代の旅人からしたら、折りたたみ自転車ですらズルいんでしょうけど。