前身は国鉄二俣線。掛川と新所原を浜名湖の北側を通って結んでいます。
戦時中、海沿いを走る東海道本線が攻撃を受けた場合の迂回路線としての目的もあって1940年に全通。
鉄道が交差する場合、後にできた路線が上を跨ぐのが通常ですが、ここでは逆になっています。有事の迂回路になる二俣線が優先されたのですね。
つい最近2021年まで、その跨線橋が残され、天浜線がそこをくぐっていたようですが、現在は撤去されて一部の遺構のみ。Wikipediaにはその写真が掲載されていますね。
天浜線は乗り通しているのですが、その存在は知りませんでした。
金指から奥山の区間は1963年5月に先に廃止されました。
奥山線の岡地駅は、天浜線よりももう少し金指駅寄りにあったようです。蝋梅が咲いてました。
二俣線と別れて、気賀口駅跡はこのあたり。
気賀は東海道の裏街道、通称姫街道の関所が置かれたところで、奥山線開業当時はこの駅が「気賀駅」を名乗っていました。
奥山線はここで川沿いに北側に向きを変えますが、
今回、本当はハマイチしようと浜松まで来たので、気賀の中心部と気賀駅を掠めて、
ハマイチコースになっている「みをつくし橋」を渡り、
一瞬だけハマイチ体感。リベンジに来た時に、ログがつながるように。
さて奥山線跡に戻ります。気賀口駅から山の方に向きを変え、井伊谷川左岸に渡ります。
正楽寺、井伊谷、四村、田畑という駅があったようですが、雨粒がどんどん大きくなってきました。駅跡の探索等は省略気味に、先を急ぎます。この間については以下の動画をご参考。
こちらは中村駅跡付近。
小斎藤(こざいとう)駅付近にも、読み応えのある解説板がありました。
そして最後に左にカーブして、終点奥山駅跡の手前には、橋の一部が残っていました。
川を渡ったところが奥山駅跡。遠鉄バスの待機所になっています。
地図で見ると、奥山のバス停は別のところにあるみたい。
バス用地とは、まさに駅の跡らしい使い方です。
雨がだんだん強くなってきて、最後は駆け足に。
あとでネットで見ると、いくつか残る橋脚等を見逃しているようです。
いやーこんなにすごい廃線跡ポタスポットが浜松にあったとは。
でも、当地の廃線跡は奥山線だけではないのです。まだ続く。