広沢駅跡のカーブを抜けると、出てきたのは広沢トンネル。立派なレンガ造り。
広沢トンネルの先には、モニュメントがありました。
まるで999です。ラッキョウ軽便よ。永遠なれ。
基部のトンネルは亀山トンネルを模しているのかな。
今よく見たらこれ、すべり台になっているんですね。素晴らしい発想で感動。
スタート直後にトンネルが続き、改めて浜松の中心部の地形を認識。
勝手に浜松は真っ平なイメージを持っていましたが、少し起伏があるわけで。
その高台を使って浜松城が作られたという訳か。なるほどー。
この辺りには浜松市立高校と浜松北高校が隣接してならんでいます。この奥山線跡は彼らの通学ルートになっていました。かつては通学に奥山線は使われていたのでしょうか。
並行する国道を見やると、遠州鉄道バス奥山行が。これが奥山線代行バスですね。
その後は住宅街の間を抜ける歩行者自転車専用道になっていて
駅跡の位置を示す標が埋め込まれています。
住吉駅跡の次の駅は「銭取」。現在も残っていたら金運を呼ぶ駅として入場券が人気になるかしら。。。いや、コソ泥っぽいか。。。
銭取駅跡手前で自転車歩行者道は終了し、車も走る道路になっています。
銭取駅跡の標は見つけられませんでした。
この先に、もう一つとても気になる駅名がありました。
「小豆餅駅」です。この辺りの町名が小豆餅。なんだか幸せな気持ちになる地名。
やっぱり昔は小豆餅を売るお餅屋さんが軒を連ねていたのでしょうかね??
なんだか餡子の香りがしてきたような気がします。
いやいや、まわりは住宅地。そんなわけあるかいな。「小豆餅駅」という視覚情報で脳が勝手に香りを感じているなんて。。。
おっさんの脳みそはいよいよだなぁ。。。と思いながら進むと。。。これか!!
煮豆を作っているようです。いやー「小豆餅」を体感した気がします。
ところで、この辺りは航空自衛隊浜松基地のすぐそば。航空機の轟音が聞こえてきます。離発着も結構ひっきりなし。
小豆餅駅は1926年頃~1940年頃まで「飛行聯隊前」という駅名。
奥山線は軽便鉄道だったので輸送力が乏しいですが、例えば改軌されて、戦時期に航空基地への貨物輸送等に使われていたら、奥山線の運命も違ったのかもしれませんね。。。なんて思いつつ。北へ進みます。
こちらの遠鉄ストアがあるところが曳馬野(ひくまの)駅跡のようですが、
ここまでが電化された区間とのことですね。
この後は二車線の広い幹線道路に転用されていて、バス通りになっています。
三方原、豊岡、都田口(みやこだぐち)の各駅があったとのことですが、
このバスは天浜線の都田駅方面に向かうようです。奥山線は都田には向かわず、都田口から左に大きくカーブしていきますが、
豊岡付近のコンビニでトイレ休憩した時に、Stravaが起動できていないことに気が付きました。orz
ここまで通ってきたルート含め、奥山線跡をStravaルートに反映すると、こうなるのですけどね。
あーあ。もったいない。。。続く。