鉄輪☆温泉

鉄道に輪行してポタリング。締めは温泉へ!折りたたみ自転車×鉄道ライフとお出かけ記録をつづります。

下津井電鉄跡ポタ②旧児島駅

かつての下津井電鉄児島駅(3代目)までやってきました。

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 1988年にこの駅舎は完成したもの。ウィキペディアに当時の建物の姿の写真がありました。廃止後に現在の上に雲のオブジェがあるデザインになったようですね。

 ちなみにそのページを見て、初代児島駅である「旧味野駅」のレプリカ駅名標は見落としていたことを知りました。残念。。。

 かつて児島から岡山に向かうには、下津井電鉄茶屋町から国鉄に乗り換えていましたが、バスで直接岡山に出る方が早くなったそうです。

 バスも下津井電鉄が運行していましたし、茶屋町~児島は1972年に廃止。

 一方、児島~下津井にかけては地形も険しく、バス転換が困難ということもあり存続となりました。だから国鉄駅と接続しない独立路線となったわけですね。

 黒字のバス事業で大赤字の鉄道事業を補填したそうです。

児島駅舎内は自転車は乗り入れてOK!(17時には施錠)

体育館のような斬新なアーチ状の建物。中にはデッキもあります。

腕木式信号機があって、そこには「弁慶号」「メリーベル号」「赤いクレパス号」と観光列車の名前が残されています。

 1988年瀬戸大橋開通により、下津井電鉄は観光鉄道としての生き残りを図ります。
特に「メリーベル号」はアルナ工機で新製された展望デッキを有する観光電車。大赤字なのに思い切った手を打ちました。子供(といっても小6か中1くらいだったかな?)の私は雑誌「旅」で見かけて、瀬戸大橋観光に行き、乗ってみたいと思ったものです。
 ちなみに「赤いクレパス号」は落書きができる電車。「SL弁慶号」は、1907年製の海軍徳山練炭所で使用後、下松工業高校に教材として払い下げられた蒸気機関車下津井電鉄に1988年に貸与され、下津井駅構内で客車2両を引いて体験乗車ができたそうです。

 掲示物に観光鉄道として生き残りをかけた形跡が残っていました。。。

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 そんな斬新なデザイン駅舎の新築、観光電車の新造(冷房付き!)、そして貴重な軽便SLをレンタルまでして、瀬戸大橋観光に生き残りを賭けた下津井電鉄ですが、、、、

 あえなく3年足らずで廃止に。泣・・・。瀬戸大橋線児島駅から1㎞ほど離れているというのも厳しかったのでしょうか。。。

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現在、児島駅~下津井駅までは「風の道」サイクリングロードとして整備されています。

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いよいよ憧れた「メリーベル号」に乗った気持ちで下津井を目指して進んで行きますか。

長くなりましたので今回はこの辺で。続く。

 

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