鉄輪☆温泉

鉄道に輪行してポタリング。締めは温泉へ!折りたたみ自転車×鉄道ライフとお出かけ記録をつづります。

谷川岳「一ノ倉沢」ポタ

湯檜曽駅をスタートして、

利根川支流の湯檜曽川上流に向かいます。


f:id:masaru-arameya:20230903080851j:image

f:id:masaru-arameya:20230903080855j:image

湯檜曽温泉に足湯がありました。こじんまりとした良さげな温泉地。

ゆるゆる高度を上げていきます。


f:id:masaru-arameya:20230903080955j:image

f:id:masaru-arameya:20230903080958j:image

谷川岳方面が見えてきまして、


f:id:masaru-arameya:20230903081043j:image

f:id:masaru-arameya:20230903081046j:image

土合駅に到着。駅舎は登山客でごった返しているみたいなので、また後で寄ることに。

前回書きましたが、スタート地点を、水上、湯檜曽、土合のうち、どこからスタートするか迷ってました。

土合駅下り線ホームは地下深く、「モグラ駅」としても有名です。とても自転車持って上がることはできません。土合駅スタートにするなら、一回新潟県土樽駅まで折り返して地上の上りホームに来ようと思っていましたが、その列車は5分前に到着していたようで。

湯檜曽駅スタートと時間的にはどっこいどっこいだったようですね。

f:id:masaru-arameya:20230903081143j:image

あれが「国境の長いトンネル」清水トンネルか。
f:id:masaru-arameya:20230903081146j:image

ここから勾配が急になります。

湯檜曽駅からスタートした分、良い準備運動ができてよかったかも。スタートでいきなりこの登りはきついですね。


f:id:masaru-arameya:20230904083125j:image

f:id:masaru-arameya:20230904083129j:image

谷川岳ロープウェイまで来ますと、クルマはこの先通行禁止になっています。

自転車はOK!


f:id:masaru-arameya:20230903081259j:image

f:id:masaru-arameya:20230903081341j:image

ここの急こう配が一番きついところですが、


f:id:masaru-arameya:20230903081435j:image

f:id:masaru-arameya:20230903081438j:image

その後はさして急勾配はありません。

涼しい林間をゆるゆるポタポタ進んでいくと、


f:id:masaru-arameya:20230903081532j:image

f:id:masaru-arameya:20230903081536j:image

どーん!マチガ沢に到着!

清水峠を越えてきた旅人が、ここから「町が、見える」と喜んだことが名前の由来なんだとか。

f:id:masaru-arameya:20230903081709j:image

f:id:masaru-arameya:20230903081716j:image

振り返りまして、湯檜曽川の左岸の山は、白毛門と奥が笠ヶ岳になるのかな?

とにかくこのあたり冬は大豪雪地帯。あまり樹木が生えず、雪崩でできた谷が刻まれているのがよくわかります。「アバランチシュート」ってやつですね。(「キャプテン翼」とかで、必殺シュートとして出てきそうな名前。。。)

f:id:masaru-arameya:20230903081712j:image

さらに林間を気持ちよく進んでいきますと、

f:id:masaru-arameya:20230904121915j:image

一の倉沢に到着です。

ここで国道291号は行き止まり。

f:id:masaru-arameya:20230904123153j:image

f:id:masaru-arameya:20230905085813j:image

通行止め標識の奥へと、ちょっと押し歩き。

氷河に削ずられてできたU字谷、カールは圧倒的なパノラマで。谷底の薄いグレーなところは雪渓かな?真っ白な万年雪はちらほら見えるようですが。

まさに利根川の赤ちゃんですね。温暖化の進行により完全消失しないことを祈ります。

標高2000m行かないのに、高山の様相。やはり谷川岳エリアの自然の厳しさを感じます。

f:id:masaru-arameya:20230903081817j:image

越後に向かう清水峠越えはこの先ですが、ここまでにしておきます。

f:id:masaru-arameya:20230903081821j:image

三国街道の方がメインルートでしたが、ペリー来航で江戸湾海上輸送ができなくなり、魚野川と利根川の水運をつなぐルートとして、重要性が増し馬車が通れるように作られたため勾配も抑えめだとか。

この先の登山道は崩れているところも多く、現在越えるのは相当危険なようです。

f:id:masaru-arameya:20230903081824j:image

そんなお話や谷川岳の成り立ちや地質等について、下りに立ち寄った「谷川岳インフォメーションセンター」のガイドさんに教えてもらいました。

 

 

一の倉沢へ来たのは学生時代以来4半世紀ぶり。当時授業の一環でした。多分今回伺ったような話も聞いて、レポート書いたはずなんだけど、、、覚えてないものです。。。