天神浜オートキャンプ場をチェックアウトして、
月曜日の朝。駅には通学送迎の車がひっきりなし。ちょうど郡山行が入線。


駅前には石碑が。
「沼尻軽便鉄道」と書かれています。

沼尻に硫黄鉱山があり、日本硫黄(株)の関連事業として生まれた鉄道だそうです。
最初は人車鉄道でしたが、その後792mmに改軌。馬車鉄道を経てドイツ製コッペル型蒸気機関車を導入。1945年には「日本硫黄沼尻鉄道部」となりました。
20世紀初頭の硫黄は世界的に希少で、重要な輸出品だったそうです。沼尻鉱山では質の良い硫黄が産出されたとか。
昭和初期には秋元湖へ至る路線も計画し、裏磐梯観光開発も目論みますが未成。
戦後、国内での原油精製が盛んになると、その副産物で安く硫黄が出来るようになり、沼尻の硫黄は価格競争力が低下。
1950年代終わりには鉄道の経営状況は悪化。スキー場、温泉開発と合わせて観光鉄道へ転換を図ります。1964年には「日本硫黄観光鉄道」。さらに1967年「磐梯急行電鉄」に改称。(電化してないのに。。。?)
しかし翌年1968年会社は倒産、全線休止となり、1969年に正式に廃止となりました。
沼尻鉱山も1968年に閉山。
いろいろな呼称があったみたいですが、このブログ記事では石碑に書かれている「沼尻軽便鉄道」としておきます。(NHKアーカイブスにかつての映像がありました!)
川桁駅横には広い敷地があります。
ここから硫黄が磐越西線で運ばれていった訳ですね。
そして、「懐かしの沼尻軽便鉄道を訪ねて」と書かれた案内板が設置されています。
奥の道が廃線跡ですね。
廃線跡巡りには大変うれしい案内です。駅のあった場所がわかって辿りやすいし、
何より往時の雰囲気がわかるので面白いですね。
鉄道があったということは郷土史では一大事ですから
橋を渡って、

以下の廃線跡な集落の間を抜けて、
県道323号線となって、白津停留場跡が出てきました。
写真から見るに簡素なベンチだけある駅とは言えない停留場だったんですかね。
進みまして、
次のうつの(内野)も簡素な停留場だったようですね。
磐梯山は雲の中です。ずっと霧雨が降ったりやんだり。結構服が濡れてきたな。。。下館に入ります。
隣に当時のトイレが残されているそうな。
これですね。確かにトイレですが、
これが小便器??絵付けされていて豪華。用足しづらい気もするけど。
向かい側には立派な洋館風建物が。「長瀬産業組合」と書かれています。
立派な建物といい、絵付けされた小便器といい、何だかこの地域の気風を感じました。
雨は降ったりやんだり。沼尻軽便鉄道跡の旅は続きます。
