この日曜日は用事があったので、夕方から近所ポタへ繰り出しました。
観梅会が行われていた多摩川大橋横の御幸公園から
呑川沿いに上流へ進みますと、東急池上線が呑川を渡っていきますが、
この辺の地名は「雪が谷」。池上線は谷を埋めた高いところを通って呑川を渡ります。
「雪が谷大塚」駅がありますが、開業当時は「雪が谷」駅。東急池上線は池上電気鉄道として1922年に開業し、1934年目黒蒲田電鉄と合併しました。つまり目黒線・多摩川線と池上線は元は違う会社です。
池上電気鉄道は、国分寺方面への延伸を目指し、雪ヶ谷駅より分岐して、新奥沢駅に至る1.4kmの区間を1928年先行開業させました。国分寺崖線に沿っていこうとしたんでしょうかね。しかし、目黒蒲田電鉄と合併した1年後の1935年廃止。大井町線も通っているところもありますしね。。。
廃線跡は完全に住宅街になっていて痕跡はわかりません。
でも、このブログを書くために、答え合わせにネット検索してみたら、
途中駅の諏訪分駅ホームに沿って、路地がほんの少しだけカーブしている部分があり、そこが唯一の痕跡であろうとのこと。
しまった。その道は通りませんでした。諏訪分駅は現在の田園調布学園中高の最寄り駅だったそう。右下の写真は校舎ですが、主な利用者は学生だったようですね。
その先進んでいきまして、マンションの敷地にひっそりと、
「新奥沢駅跡」の碑がありました。
こうやって「碑」が残されているだけも、ありがたいですね。
1面1線の小さなホームがあっただけのようです。
「今昔マップ」を見てみたら、当時の地図は以下の通りでした。現在の雪が谷大塚駅よりも雪が谷駅はもう少し、五反田よりにあって分岐していたようですね。
商店街を進んで、奥沢駅へ。留置線があります。
ここにも時間帯によっては相鉄車両の留置もあるのでしょうか。
田園調布駅の前を通りつつ、多摩川に出て、多摩川大橋まで戻り一周完了。
暖かい週末でしたね。日も長くなってきて、夕方から自転車に乗っても楽しめるようになってきました。
しかし、かなり花粉症らしき症状が出てきて。。。
目が痛痒いし、くしゃみも。。。いよいよ来たか。。。