本日は在宅日なので、ランチタイムに多摩川を。いつもの周回です。
かつては「丸子の渡し」がありました。
碑が光って見えづらいので。以下が書かれております。
始まりは江戸中期とされ、江戸と平塚の中原を結ぶ中原街道にかかる渡し。平塚のお酢や相州の物産も渡った。1935年(昭和10年)の丸子橋架橋で廃止。
「中原街道」の名前は、平塚の中原御殿が由来なことはご存じでしょうか。
ちなみに、私は中原街道は「武蔵中原駅」の「中原」が、古い地名で、そこを通るから「中原街道」と言われているのだと思いこんで育ちましたが、
こちらに引っ越してきてから、はじめて平塚の中原というところが由来だと知った次第。
つまり、中原街道の名前の方が先にあって、区制を導入するときに「中原区」になったんですね。
そして、碑にはわざわざ「平塚のお酢」と書いてあります。なんでだろうと思って、検索してみました。
平塚では「成瀬酢」というお酢が作られていたそうな。しかも中原御殿前の「お酢屋さん」の酢を家康が気に入って、江戸への献上品になったとのこと。中原街道は別名「お酢街道」と呼ばれていたそうです。へー、それは今回初めて知りました。
【お酢博士に聞きました】お酢が通った道の名は…? | お酢健WEB
いつも、通り過ぎていましたが、発見があるものです。
丸子橋を左岸にわたると、昔の橋の一部が残されています。
いつも、何の碑かなぁ程度で通過していました。昭和9年に建設されたとのことですね。。。
見ていましたら、東急多摩川線が。
慌てて撮ったので、ひどい写真ですが、なんだこのカラー??
初めて見ました。リバイバルカラーもあるのですね。検索してみたら、結構前から走っているそうで。。。2016年くらいから?
これも知りませんでした。。。
左岸を下流へ
多摩川大橋からだと、この向きで富士山が見えるのですね。
多摩川が蛇行しているので、自分の思う感覚とは違う方向に見えることがあります。
いつも走っているところなのに、本日はかなり発見がありました!
これだから自転車って面白いんですよね。