小湊鐡道キハ200の車内で見た
昔の沿線案内図には
拡大してみますと、田代、弓木、大森、上野、西原 と書かれています。
いずれも現在も地図に乗っている地名ですから、おそらくこの区間はバス路線を表しているのでしょう。
(※なお、この案内図について、先日「戦前」と書きましたが、「朝生原駅」が「養老渓谷駅」に改称したのは昭和29年ですので、この地図は戦後のモノのようです。失礼しました。既出の関係記載を訂正しました。)
小湊鐡道のホームページでは、途中駅としては「筒森」、「名木」の2駅が計画されていたと書かれています。
小湊鐡道の延伸計画については、詳しいブログもたくさんあるので、詳細はお任せして、
簡単にまとめると、3ルート案があったようですね。
①養老渓谷駅(旧朝生原駅)から南にまっすぐのルート
②現在の県道177号線に近いルート(↑上記ですね)
③現いすみ鉄道、総元駅付近から国道297号、松野付近から県道82号線に近いルート
①は一番最短ですが、地形的にも厳しく、人家もない。②の計画で、延伸し、上総中野駅、安房小湊駅付近で工事を始めたものの、ピンチを迎え、最後③の遠回りですが、建設費が少なく、まだ沿線人口も多い遠回りなルートに計画変更して何とかしようとしたけど、免許取り消し。
という流れだったようですね。
南総鉄道と同じような最後は泥縄式の顛末。。。
この日は南総鉄道に引き続き、小湊鐡道に代行しまして、延伸構想区間を走ります。
当初、③のルートで走ろうかと思って来たのですが、
この沿線案内図を見て、②のルートを走ることにしました。
上総中野駅近くには、蒸気機関車の給水用?と言われている井戸がありまして、
そのあたりから南側にかけて路盤工事が行われた形跡が残っています。


ここら辺も残っているはずだと思うのですが、、、ちょっと自分には明確にはわからずで。。。



県道177号線を進んでいきます。
こんな上りもありますので、やはり工事は難航するでしょうね。
「田代」のバス停がありました。現在はバスは走っておらずバス停だけが残されているようです。


弓木集落を進んでいきまして、


勝浦市に入り、大森


上野、西原というあたりを通っていきますが、、、ま、人家は少ないですね。
この県道82号線との交差点付近に名木駅が計画されていたのでしょうか。


県道82号線は南へ向かい、鴨川市へ入ります。
小湊鐡道はきっともう一本西側の谷筋を通る計画だったでしょう。7%の急坂を


一気に下りますと、小湊の内浦湾。別の谷筋を行くとしても、こんな高低差は鉄道には厳しいですね。。。


安房小湊駅に到着しました。
駅の山側が、小湊鐡道の安房小湊駅の予定地だったことでしょう。
鬱蒼とした藪になっています。
安房小湊駅の反対側に回り込んできますと、
未成線の路盤が確認できました!
そしてJRを離れてカーブした後、盛り土が残されています。
昭和初期の工事ですから、さすがに崩れていますね。。。


私有地の奥の方に路盤が続いていそうです。
この川を渡って上総中野を目指そうとしていたんですね。。。


小湊鐡道は誕生寺への参詣輸送を狙っていましたから、最後は誕生寺にお参りを。
そして、〆の一風呂と思っていた近くの旅館に日帰り入浴できるか聞いたら、断られてしまい。。。
門前に足湯はあったのですが、


ちょうど外房線普通列車が来る時間。現在は1時間に1本しかありません。これから寒くなるし、この日は平日。ラッシュ前に上がりましょう。
駅に戻って、すぐにきた上総一ノ宮行に乗り込みます。



上総中野から安房小湊までの県道沿いは、人口も少なく、お店も全くありませんでした。 戦前であっても、この区間にたくさんの乗客は期待できなかったでしょう。。。
それでも、上総中野、安房小湊付近に工事の跡があり、かつて延伸を目指していたロマンを感じました。
100年を超えて「小湊鐡道」という社名が残されている証とも言えるのではないでしょうか。
これにて小湊鐡道沿線ポタは完結!
キハ40に乗れなかったのが残念。また小湊鐡道には輪行ポタしに来ることにします。