鉄輪☆温泉

鉄道に輪行してポタリング。締めは温泉へ!折りたたみ自転車×鉄道ライフとお出かけ記録をつづります。

“ボロ電”山梨交通電車線跡ポタ①甲府~貢川

 信玄公に睨まれつつ、甲府駅前のターミナルをスタート。

 今回は山梨交通電車線の廃線跡を巡ります。1930年に山梨電気鉄道として開業。1932年に甲府駅前から甲斐青柳(現在の富士川町内)間が開通、1945年に山梨交通となり、1962年に廃線となった20.2㎞の路線。


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甲府駅のすぐ横が城跡。立派な石垣をかすめて、県庁の方に下ります。


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 山梨交通電車線は、県の中心部、県庁、市役所、警察署、裁判所等の前を通って、


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相生町で右折。国道52号線に入ります。西は信州道、南は身延道。

寿町付近を通過。整備されていて電停の名残はここまで一切ありません。。。


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 荒川を渡ります。この橋のド真ん中に「荒川橋」バス停があります。

 これは電停が橋のド真ん中にあったことの名残。とはいえ不便じゃない??

 荒川沿いにはサイクリングロードもあるようですね。ネットで検索してみましたが、どこからどこまでつながっているのかよくわからないなぁ。。。


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 ここまで併用軌道でしたが、荒川橋、貢川橋を渡った先から専用軌道に入っていたそうです。

 新しい道路と旧道の間の不思議な土地に温泉があります。その名も「草津温泉」。飲泉もできるみたいですね。以前入りたかったけど、入れなかったのですが、そして今回も通過。。。また宿題を残しました。

 甲府盆地は最高の温泉天国だなー。


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 国道52号の新道は軌道跡を利用されていて、そのまままっすぐ進んでいきますと、国道52号から県道になります。

 まっすぐ行きますと大きな「コジマ」と広い敷地のファミマがありまして、


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ファミマの隣には「山梨交通労働組合」の建物が。そして向かいには山梨交通のタクシーの車庫が・・・。確実に山梨交通電車線の重要スポットだったことは間違いなし!


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  令和2年、山梨交通電車線開業90年を記念して、ミニ公園が整備されたそうです。バスの整備士さん達が、お仕事の合間に作られたとのことです。素晴らしい取り組みですね。

 ここは「貢川駅(くがわ)」があったところなんですね。電車庫もある拠点だったとのことです。

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「くがわ」の駅名標

レールが復元されていますが、電車線に使用後に鉄骨材料として保管されていたものだそうです。1800年代に帝国鉄道院が発注し払い下げられたものだそうで。

当時の貢川駅の写真?が描かれた石碑が建てられています。


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 沿線住民には ”ボロ電”と呼ばれていたそうです。「愛情をこめて」呼ばれていたとのことですが、山梨交通のHPによれば以下の理由が考えられるようですね。

 〇「ボロ電」の由来は電車ではなく、社屋や駅が古かったから
 〇当初より多くの駅を無人駅とし簡素な施設だった(国鉄との比較)
 〇交差駅でトロリーポールの付け替え時、停電してしまうから
 〇いつも混雑しているのに単機運転、サービスが良くないから

 個人的には一番下の最後の部分がちょっと引っかかるのですが。。。

 山梨交通ホームページやWikipediaで見てみますと、その設立の経緯、また運行の歴史的にもかなり経済的に大変だったようですから、設備は簡素にならざるを得なかったのでしょうか。 

電車線跡記念碑の建立 | 山梨交通株式会社

 そして、この山梨交通廃線跡の道は「廃軌道」と呼ばれていて、国道52号線と並行したかたちになっています。地図で見てもかなり違和感があるので面白い。

 貢川駅跡の前のバス停にも(廃軌道)と書かれています。 

 平日朝のラッシュ時に数本が、国道ではなく、こちらを走って甲府駅に向かうようですね。その「廃軌道」を進んでいきます。

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