3両編成E131系で、JR日光駅に到着。
ちょうどJR253系「特急日光」が東武日光駅へ到着するところ。日光観光輸送の力関係の象徴的な瞬間。
JR日光駅の歴史ある長いホームですが、先の方のレールは錆びてしまっていて。。。
貴賓室もあり、そして修学旅行団体用に待機スペースも広くとられています。
小学生の時、修学旅行で、167系「かながわ」号で日光に来ました。品川駅臨時ホームでスイッチバックして山手貨物線へ。そして宇都宮でもう一度スイッチバックという経路と記憶しています。
現在はE257系5000番台運用ですが、普通にまっすぐ上野東京ラインで来るんでしょうか??
風格が素晴らしい駅舎です。
まずは東武日光駅へ。ローディーさんたちが、出発準備中。さっきの「特急日光」で来たのかな?
東武日光軌道線の100形が保存されています。
1910年に開業した日光電気軌道が、1947年に東武鉄道日光軌道線となり、1968年に廃線に。
いろは坂手前の「馬返」までの10.6㎞を走っていました。
反対側の行先表示は「馬返」になっています。良い地名。馬でもこの先登ることができないわけですものね。
今回は通る道が自然と廃線跡
準備運動がてら、ポタポタまいります。
「神橋」まで、路面電車がデザインされたスポット表示が施されています。石屋町は電停があったところですね。
これまた風格ある旧日光市役所を過ぎて、なだらかに登っていき、「神橋」へ。
神橋の横を、かつて東武日光軌道線はカーブした橋で渡っていたのですね。
良い音してたんでしょうねー・・・。100形の説明板にその写真があります。
橋台が残っていると、Wikipediaでは見ましたが、鬱蒼としていてわかりません。
話がずれますが、この100形の説明版で、国道122号線の書き方に違和感。足尾方面にはこの向きだと、清滝から上に進んでいくと思うんですけど。男体山の位置も。。。
「安川町」のあたりは、当初は左手に行っていたようで。でもそっち行くと「西参道」の方に上がるにはかなり勾配がきついなー。その後ルート変更で右手の方に進んだのかなー。など、ゴニョゴニョ考えながら進みます。
っていうのは、、、この写真では伝わらないですね。
田母沢御用邸の横を通ります。高原っぽくって気持ちいい。なんて、ウキウキ走っていたら、日光軌道線の痕跡をスルーしてしまいました。。。
安良沢を渡ります。もともとは「荒沢」。観光地向けに良い表記に変えられてしまったのでしょうか。地名の持つ教訓は大事ですよね。
ここにもWikipediaによると2012年現在で橋が残っているということなんですが、、、どうなんでしょう?これも鬱蒼として見えません。
また安良沢を渡ったところに電車庫があったそうですが、、、盛夏では路盤や廃線跡はわからないですね。。廃線跡巡りは秋〜春に限ります。季節を変えて再訪してみたいものです。
清滝ICの手前で、右に進み、
古河電工さんの城下へ。かつては「古河アルミ前」や
「精銅所前」という電停もあったそうです。
日光電気軌道は、もともと古河鉱業「日光電気精銅所」の貨物輸送を主目的として開業しました。かつては国鉄から貨車がここまで入っていたのですね。
今回の主目的は、その「銅」がキーワード。
「馬返」へは軌道跡は右にカーブして進んでいきますね。いずれはこの先、国道120号線「いろは坂」もチャレンジしてみたいものですが、
今回は、ここで国道122号線で左に軌道跡からは離脱します。
ところで日光軌道線の車両は、東向島の東武博物館にも保存されていますね。
こちらは2両連接編成の200形。(2019年12月撮影)